2014年9月16日火曜日

アニメ制作における3D表現は、 作画による2D表現の代替になりうるのか【2】

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2Dアニメと3Dアニメ、それぞれの特性を考察するに当たり、先ずはアニメ技術の歴史を研究すべきである。

海外では何故、技術革新から一気に3Dアニメへと移行していったのだろうか。
日本は何故、今も2Dアニメを作り続けるのだろうか。


3Dアニメへの移行の背景

■アニメ制作技法の歴史

近年の海外アニメスタジオは、3Dモデルをアニメーションさせて3D空間でレンダリングすることでアニメを制作している。これらの3Dモデルのみを利用したものはフル3Dアニメと呼ばれ、Pixarの『トイ・ストーリー』やDreamWorksの『シュレック』などを筆頭に、ここ20年で大きく勢力を伸ばした制作形態である。

一方、日本は伝統的に2Dアニメを制作してきた。
これは、アニメーターが手で描いた絵をコマ数分用意し、それを連続再生することで絵が動くというセル画を用いたアナログ作業が原則である。1963年からテレビ放送された『鉄腕アトム』を起源とし、これを制作した虫プロダクションからは後に多くの人材が離散・独立することで日本のアニメは基礎を踏襲しつつも多様化していった。

当然、海外でも3DCG技術が発展する以前、さらには日本がアニメ産業に介入する以前から2D作画によるアニメが制作されていた。当時の東映はディズニーの『ファンタジア』を目指していたし、中国で制作された『西遊記 鉄扇公主の巻』は手塚治虫に多大な影響を与えた。
その後、日本人の特性ともいえる「他国のものを抵抗なく受け入れ、より繊細な作業により質を上げ、世界へ排出する」という例に漏れず、彼らは2Dアニメを取り入れて果てには自分のものにしたのである。
――エスニック・ジョークでもよくネタにされるが、日本は他国が発明したものをブラッシュアップさせる能力に長けていた。アニメブログなのでアニメを紹介するが、『風立ちぬ』ではこの日本人的な性質が描かれている。

1980年代ごろから、本格的なCG技術の流用が始まった。
ディズニー制作の『TRON』が登場し、日本でも幾らかの作品にCG技術が用いられるようになっていった。コンピュータグラフィックスの技術は二次関数的に進歩していき、遂には世界初の3D映画『トイ・ストーリー』が1995年に大成功を収める。
そして時代は一気に3Dアニメへと流れ込んでいく。

実はこの、コンピューター技術の進歩に沿うようにしてアニメが制作形態を変異させていった構図に、日本と海外のアニメに対するスタンスの違いが読み解ける。



■アニメ制作のコストパフォーマンス

何故、アニメは常に最新のCG技術で作られてきたのか。
それはコンピューターが肩代わりしてくれる作業工程が、人間のそれより圧倒的に効率が良かったのに他ならない。

初期のアニメは長い間、紙に描いた線画をセルと呼ばれる透明なシートに転写し、それを手作業で着色した上で、順番に取り替えながら撮影する制作方式だった。これは人海戦術的な方式でありながら技術も必要であり、その放送時間と比較して大変な労力を要した。
――日本の黎明期を支えた虫プロダクションも、技術あるアニメーターの発掘・育成に苦労し、人材難を抱えていた。結果人件費は高騰し、一時代を築いたプロダクションは倒産に追い込まれた。

CGも登場してからしばらくは特殊効果としての補助的な使用中心だったが、技術革新となったのは1990年代後半頃からのセルの廃止である。
原画を従来通り人間が手描きし、それをコンピュータに取り込んで以降の過程をコンピュータ上で処理するのだ。着色はデジタル彩色となり、使用可能な色数はそれまでのアニメ専用絵具の80色程度から一気に1600万色となった。

さらに同時期、3DCG技術が台頭し始める。
原画段階から3Dモデリングを元にコンピュータが作画を行う。基本的に紙への作画はしないので、手書きとは質感が異なるものの、立体物などがリアルに表現できる。これらにより、フィルムでの撮影や編集もコンピューター上での作業に移行することになった。



■海外と日本の分岐点

これらの技術の以降を、世界のアニメプロダクションは追いかけた。
アメリカで云う「新しく、より効率が良くて優れているものが発明されれば、過去のものは躊躇なく切り捨てる。」という、最新こそ最強の精神である。
事実、アニメ制作の効率は飛躍的に進歩し、画面の中では2D作画では実現しえなかった量の情報が動いている。

しかし、日本人はそこで立ち止まる。
3DCGアニメは、かつて自分たちが試行錯誤してきた作画アニメの延長線上にあるのか。
古来より器用な手先と繊細な職人芸で、独特の文化を築いてきた日本人が抱く疑問。1コマ1コマにペンを走らせてキャラクターに息を吹き込む、あのアニメはどこにいってしまったのか、と。


続く

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