2014年9月4日木曜日

『Let It Go』吹き替え論争【5】完

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前回までは、ネット上のあちこちで散見されるような、「『ありのままで』は誤訳ではないのか」という立場に立って考察してきた。
しかし、『Let It Go』の映画内での役割からこの歌詞をあてがったのではないのだろうか、というもう一つの視点こそが私の感じたところであり、ここにまとめる。


■ストーリー全体のテーマという役割

Let it go』は映画の中で2回流れている。
1】で映像を観てもらった劇中のシーンと、そしてエンディングテーマだ。
――エンディングテーマは歌手が違い、歌の内容も若干異なってはいるが、バージョン違いとして同じタイトルが付けられている。

さて、ここで解りやすい比較として、同じディズニー映画で同じように2回使われた曲を聞いて欲しい。



『ライオンキング』の『Circle of Life』である。



この歌の意味するところは、《生命は一つの大きな輪として巡っている》といったところだろうか。
これは『ライオンキング』通してのテーマを歌っているのである。
――シンバは恵まれた環境で、生命(プライドランド)の絶対強者である父ムファサ(王)に憧れていた。しかし父は、百獣の王とあれど死は訪れ、その血肉が草原を耕し草食動物を育むという、《生命は一つの大きな輪として巡っている》、そこには強者も弱者もいないということを教えた。
また、《生命》と同時に先代の《想い》も繋がっており、大切なことはこの《想い》を紡いでいくことであると。

冒頭で流れた『Circle of Life』はプライドランドに対するムファサの哲学を歌っている。
それに対して、この曲がラストで流れる時、それはシンバのテーマとして、シンバがムファサの《想い》を継ぎ王になるという証の歌になっている。

ここで大切なのは『Circle of Life』は冒頭とラストで歌の伝えようとしているテーマは変わっていないということだ。そしてそのテーマこそが『ライオンキング』のテーマである。


さて、話を戻す。
『アナと雪の女王』のテーマはなんだろうか。
色々な曲解や暗喩的なものに踏み込もうとする考察も議論されているが、ここでは穿った見方をせずシンプルに考えてみよう。

それは、人にはそれぞれ個性があるけれどそれを表に出すことを怖がらないで自分らしく生きよう、でという事ではないだろうか。

そう、ありのままで

『Let It Go』はより明るい曲調に変えられ、ラストにも流される。
その訳としての『ありのままで』はどうだろうか。

ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
私は自由よ
これでいいの 少しも寒くないわ

紛れも無く、『ありのままで』この映画そのもののテーマを歌っているのである。
ディズニー映画らしい、明るく前向きなテーマである。

『Let It Go』は『Circle of Life』と違い、1度目と2度目に流れる際で伝えようとしている意味が違う。
本来の『Let It Go』は映画のテーマを歌っていないのだ。

このねじれを根本的に解決することはできない。

だから、『Let It Go』を訳すときに、《劇中シーンの悲壮感を表現する》ことよりも《映画そのものが伝えたかったことを表現する》ことを選んだのではないだろうか。


全世界で異例の大ヒットを記録した『Let It Go』だが、日本ではさらにそれが顕著である。
その最大の理由は、この『ありのままで』の歌詞にあったのではないだろうか。
映画を観た後の余韻を心地よいものにし、何度も映画の内容を思い出させてくれる曲。

また繰り返し聴いて、気持ちが前向きになれる曲。

『ありのままで』はそういったものを提供してくれたのである。


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